田七人参の歴史


田七人参は、中国では古来より『金不換』(お金に換えがたいほど貴重なもの)と呼ばれ、不老長寿の秘薬として珍重されてきた生薬です。
日本で知られるようになったのはごく最近のことですが、中医学(漢方)では、古代中国の時代から現代まで、さまざまな怪我や病気の治療、健康維持、心身の滋養に効く万能薬として、活用されてきました。

紀元前から知られていた効能

田七人参は、2億5千万年前の化石が確認されている最古の人参です。
原産地では、農夫が、怪我をした猿が田七人参を傷にすり付けて治しているのを見て、その効能を知ったという故事が伝えられているそうです。
前漢末期(西暦紀元前後)成立したといわれる中国最古の薬学書「神農本草経」には、副作用がなく、不老長寿の作用がある養命薬(生命を養う目的の薬)と紹介されています。

 

『本草綱目』に紹介された田七人参

16世紀末に編纂された、薬学書の集大成と言われる『本草網目』には「血液循環を良くし、痛みを止め、内臓の出血を止める」という、具体的な効果・効能が記されています。このころから田七人参の需要が高まり、野生の田七人参が乱獲されるようになりました。そのため、明の末期から清の初期にかけて、田七人参の人工栽培が発展したといわれています。

 

中医学として利用

1555年頃、主成分に田七人参が約85%含まれる漢方薬「片仔廣」(ヘンシコウ)が璞山岩の僧侶によって作り出され、打ち身、消炎止痛に使われました。この漢方製剤は現在も“肝臓の特効薬”として高く評価されています。
1902年、中国雲南省の医師、曲煥章(きょくせきしょう)が、田七人参を主成分にした「雲南白薬」を開発しました。

 

ベトナム戦争時 止血剤として使用

1960年代、ベトナム戦争の際、北ベトナム軍に対して消炎解熱効果のある「田七人参」が送られ、成果を上げました。また、現地人が使用していたのを見たアメリカ軍が、この薬草の知識を持ち帰った、という話もあります。
1979年以降は、戦略物資として中国政府によって厳しく管理され、輸出禁止とされてきましたが、改革・開放政策に伴い、輸出が解禁され世界中に知られるようになりました。

 

日本へ

日本で田七人参が紹介されたのは、昭和30年代(1955年以降)になってからといわれいます。
1980年代になると、日本においても生薬学学会等で、田七人参が盛んに研究されるようになりました。
京都薬科大学の木島孝夫博士により5年にわたる実験の結果、1992年に日本癌医学会にて、さらに日本薬学会にて「田七人参のガン抑制効果」が発表されて話題になりました。
現在では健康食品に配合されたり、田七人参のサプリメント商品が販売されて広まっています。

 

白井田七のとりくみ

1994年 白井博隆が田七人参に出会い、その効能に感動するとともに、農薬を使用する栽培環境に疑問を感じ、自ら無農薬で田七人参を育てようと決意する。
1995年 株式会社アドバンスにて無農薬栽培着手。
1998年 無農薬田七人参収穫
2006年 国際有機認証IFOAM取得田七人参収穫
2008年6月 有機JAS認証取得
2009年10月 白井田七。の販売開始
2013年11月 白井田七。茶の販売開始
2016年2月 白井田七。甕の販売開始
2016年4月 白井田七。の臨床プロジェクトを東京農業大にて開始